長岡城

所 在 地  新潟県長岡市大手通1丁目 別 名  兜城 浮島城
遺 構  なし 形 式  平城
築 城 者  堀直寄 築 城 年  元和3年(1617)
歴 史 元和2年(1616)、堀直寄が蔵王に入封して蔵王城に入ったが、翌元和3年に長岡の地に長岡城の築城を開始した。
しかし元和4年(1618)に堀直寄は村上に移され、新たに牧野忠成が入封した。長岡城は牧野忠成により完成された。
以後、牧野氏が明治維新まで在封したが、慶応4年(1868)の戊辰戦役の際に、過労の河合継之助の指揮のもと新政府軍と闘い、長岡城はほぼ消失した。
歴 代 城 主  堀氏(8万石) 牧野氏(6.4万石)


本丸跡の石碑
JR長岡駅の西側の観光案内所の前
二の丸跡の石碑
長岡市役所が入るシティホール前の広場


長岡城の縄張は、本丸と二ノ丸が並び、これらの周囲に三の丸、詰の丸、南曲輪、西曲輪を配置し、各曲輪を堀で区切ると共に橋でつないだもの。石垣は使われず、土の城であった。
戊辰戦争の際に消失した後、堀も埋められ、遺構はほとんど残っていない。本丸であった位置、二ノ丸であった位置に、石碑が立っているのみ。(2017.09.03)