長沼城

所 在 地  福島県須賀川市長沼日高山 別 名  千世城 牛臥城
遺 構  曲輪 土塁 形 式  山城
築 城 者  長沼隆時 築 城 年  文応元年(1260)
歴 史 長沼城の築城時期は明らかではないが、文応元年に長沼隆時が築城したのに始まるとされる。
戦国期に入り、永禄年間に伊達氏、二階堂氏、蘆名氏が長沼をめぐって争い、永禄9年(1566)に蘆名領となり、配下の新国貞国が城主となった。天正17年(1589)に蘆名氏が伊達氏に敗れて滅亡すると、新国氏も伊達氏に従った。
天正18年(1590)の小田原合戦の後の豊臣秀吉の奥州仕置で、長沼城は蒲生氏郷の支配するところとなり、蒲生郷安が城主として入った。慶長3年(1598)に上杉景勝の領地となり、信濃・長沼から島津忠直が移った。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いに際して、長沼城が上杉軍の前線基地になった。関ヶ原の戦いの結果、翌慶長6年(1601)に再び蒲生氏の領地となり、蒲生郷治次いで玉井和馬介が城主となったが、元和元年(1615)、一国一城令により、長沼城は廃城となった。
歴 代 城 主 長沼氏 伊達氏 蒲生氏 上杉氏 蒲生氏


本丸 本丸西門跡


長沼城は、丘陵の最高所に本丸を、一段低い西側に二の丸を配置し、本丸と二の丸を囲む帯曲輪の東と西に、さらに一段低い三の丸を配置した縄張りになっている。
現在、本丸や東三の丸などは公園地になってるが、下草が多く、整備状態はあまりよくない。


東三の丸 稲荷郭


 <アクセス>
長沼城跡は、JR須賀川駅の西方14kmの、須賀川市長沼地区の市街地内にある。国道118号線を西進し、長沼中学校を越えて1.7km先の三叉路を市街地のほうへと右に入る。途中の狭い脇道を通り越して、700m先の交差点を右折する。左側の長沼小学校を小学校を通り越した隣に駐車場がある。この駐車場の奥に長沼城の解説板があり、その裏から城跡のある山に入ることができる。数分で城跡に着く。(2013.06.12)