名生城

所 在 地  宮城県大崎市古川大崎名生城内 別 名  名生館
遺 構  曲輪 形 式  平城
築 城 者  大崎氏 築 城 年  南北朝時代
歴 史 名生(みょう)城は、7世紀から10世紀にかけて大崎地方を治めた官衙跡に築かれた、大崎氏の居城であり、南北朝時代に初期に築城されたとされる。
大崎氏は斯波氏の一族であるが、戦国時代に衰退し、伊達氏の服属下に置かれた。
天正18年(1580)、当主の大崎義隆は豊臣秀吉の小田原の陣に参陣しなかったため、所領を没収されて改易された。天正19年(1581)、葛西大崎一揆が起こり、名生城が拠点となったが落城し、以後廃城となった。
歴 代 城 主 大崎氏


主郭跡


 <アクセス>
名生城跡は、JR東大崎駅の北北西0.5kmの名生館官衙遺跡にある。周囲の道は複雑であるが、例えば国道47号線の「新田」交差点を西に入り、東大崎小学校の前を通過して次の信号を直進すると、信号から約0.7km先の三叉路に「名生館官衙遺跡」の案内標識があり、ここを左折する。さらに案内標識に従って0.4km程進み、標識のある狭い道へ入る。この道の先に名生館官衙遺跡の解説板が立っている。車は、解説板の裏あたりに置くことが可能。(2013.06.10)