村上城

所 在 地  新潟県村上市本町 別 名  舞鶴城
遺 構  曲輪 石垣 虎口 天守台 形 式  平山城
築 城 者  本庄氏 築 城 年 16世紀初頭
歴 史 城の築城時期は明確ではないが、16世紀の初頭に本庄氏により築城された。当時は本庄城と呼ばれていた。
永禄11年(1568)、本庄繁長は武田信玄と内通して上杉謙信と戦ったが、破れて上杉氏に従った。
慶長3年(1598)、上杉景勝が会津に移封されると本庄氏も従い、代わって堀秀治の家臣の村上頼勝が城主として入った。城は村上氏により近世城郭に改修され、村上城と呼ばれるようになった。
元和元年(1615)、村上氏は丹波篠山に配流され、元和5年(1619)に堀直寄が入城した。村上城は堀氏により整備された。
寛永19年(1642)、堀氏は無嗣断絶となり、村上城は幕府直轄となる。
正保元年(1644)に本多忠義、慶安2年(1649)に松平直矩、寛文7年(1667)に榊原政倫、宝永6年(1709)に本多忠孝、宝永7年(1710)に松平輝貞、享保2年(1717)に間部詮房が、次々と入れ替わって入封した。
享保5年(1720)、内藤弌信が入封し、以後明治維新まで松平氏が在封した。
慶応4年(1868)の戊辰戦争の際に、村上城は焼失した。
歴 代 城 主 本庄氏 村上氏 堀氏(10万石) 本多氏(10万石) 松平氏(15万石) 榊原氏 本多氏(5万石) 松平氏(7.2万石) 間部氏 


出櫓多門石垣


 現地解説板の案内図

村上城は、麓の居館と、標高135mの臥牛山の山上要害からなる。
居館の跡はは市街地と化しているが、山上要害跡の石垣は良好に残されている。


四ツ門跡の石垣 御鐘門跡の石垣


本丸虎口の冠木門跡 本丸 奥は天守台


 <アクセス>
村上城跡のある臥牛山は、日本海東北自動車道「村上瀬波温泉」ICの北東約1.5km。「村上瀬波温泉」ICを下りて右折し、次の交差点を北に折れて国道7号線に入る。4.7km先の「石橋」信号交差点を西に折れ、1.2km先の「久保多町」信号交差点を南に入る。600m先の村上城跡の標識のある信号交差点を東に折れ、350m先の突き当りを左に入ると、村上城入口のあまり広くない駐車場。