穆佐城

所 在 地  宮崎県宮崎市高岡町小山田 別 名  穆佐院高城
遺 構  曲輪 堀切 土塁 形 式  山城
築 城 者  不明 築 城 年  14世紀初旬
歴 史 穆佐(むかさ)城の築城者、築城年は不明であるが、南北朝期の建武3年(1336)に南朝方の伊東祐広が立てこもり、土持一族により攻略されたとの記録がある。
15世紀の初めに島津氏が宮崎に進出し、応永10年(1403)に穆佐城に島津久豊が入った。伊東氏と攻防を繰り返し、文安2年(1445)に穆佐城は伊東氏の支配下に入った。
天正5年(1577)に伊東氏が日向から豊後に落ち延びた後、穆佐城は再び島津氏が支配するところになった。
歴 代 城 主 伊東氏 土持氏 島津氏 伊東氏 島津氏 


曲輪群C


 現地解説板の地図

穆佐城は比高約50mの小山にあり、三つの大規模な堀切により区画された四つの曲輪群からなる。


 <アクセス>
穆佐城跡は、東九州自動車道「宮崎西」ICの西約15km。穆佐小学校の西側の山。県道28号線の「宮崎市麓」信号より1つ北の信号を西に入り、0.5km先の「穆佐城跡」の標識のある三差路を左に折れる。400m程先に穆佐城の解説板が立っており、道幅が広いので駐車可能。向かいの「立入禁止」の坂道から山に入る。山の反対側の穆佐護国神社からも城跡に入ることができる。(2018.10.24)