守山城

所 在 地  富山県高岡市東海老坂 別 名 獅子頭城 二上城 海老坂城
遺 構  曲輪 石垣 形 式  山城
築 城 者  桃井氏 築 城 年  室町南北朝期
歴 史 守山城の築城年は明らかではないが、南北朝期に桃井直信の拠点・獅子頭城として史料に現れるのでこの頃だと考えられている。
戦国期になると、越中は畠山氏の守護代である神保氏が実質的な支配者となり、守山城は神保氏の拠点の富山城の支城となった。
永禄11年(1568)、上杉謙信が越中に侵攻し、守山城の神保氏重・氏張父子は抵抗したが、翌年再度侵攻した謙信により守山城は落城した。
天正9年(1581)に織田氏が越中に侵攻し、守山城の神保氏重・氏張父子は織田氏に従い、天正11年(1583)に佐々成政に越中が与えられた。
天正13年(1585)に佐々成政が移封されると、神保氏も佐々氏と共に守山城を出て、守山城には前田利長が入った。慶長2年(1597)に前田利長は富山城2移り、守山城には城代として前田長種が入ったが、間もなく廃城となった。
歴 代 城 主  桃井氏 神保氏 前田氏


観音像が立つ本丸


守山城は、二上山の支峰の城山山頂部に築かれた山城であり、本丸、二の丸、三の丸が南北に階段状に配置されている。
松倉城、増山城と共に越中三大山城とされるが、二上山万葉ラインと称するドライブウェイの工事により遺構が失われ、残存状態は良くない。


二の丸 三の丸


 <アクセス>
国道8号線から国道160号線に入って北上し、「万葉ライン口」交差点を左折して二上山万葉ラインへ入る。3km先の城山山頂部に駐車場があり、城跡はここからすぐ。(2014.09.08)