盛岡城

所 在 地  岩手県盛岡市内丸 別 名  不来方城
遺 構  曲輪 石垣 堀 虎口 蔵 形 式  平山城
築 城 者  南部信直・利直 築 城 年  文禄1年(1592)
歴 史 盛岡城は、南部氏の家臣の福士氏の居城であった不来方(こずかた)城を前身とする。南部氏は甲斐源氏の流れを汲む加賀美氏の傍流であり、陸奥に土着した後、いくつかの系統に分かれ、三戸南部氏が嫡流となった。
豊臣秀吉に所領を安堵された三戸の南部信直・利直は、三戸城から九戸城を経て、文禄1年に不来方で築城を開始し、元和元年(1615)頃にほぼ完成して盛岡城と名付けた。
さらに三代目の重直の時代になった寛永10年(1633)にようやく完成をみた。
明治維新まで、南部氏の居城として存続。
歴 代 城 主  南部氏15代(10万石→20万石)


二ノ丸東の高石垣


  現地解説板の地図
北上川と中津川の合流点の丘陵に本丸・二ノ丸・三ノ丸・腰曲輪を配置して内曲輪とする。
東北地方では唯一、壮大な総石垣造の城郭。
内曲輪は岩手公園として整備されており、現存建物として彦御蔵がある。


本丸南東隅天守台石垣 本丸と二ノ丸の間の堀切


三ノ丸西石垣 吹上門への上り坂石垣


腰曲輪南石垣 彦御蔵(道具類の収蔵蔵)


 <アクセス>
城跡の岩手公園は、JR盛岡駅の東約1.2km。岩手公園の北東に入口のある地下駐車場(有料)を利用。(2016.07.21)

日本の城目次へ戻る