百地丹波守城

所 在 地  三重県伊賀市喰代 別 名  百地氏城 百地砦
遺 構  曲輪 土塁 虎口 堀切 形 式  平山城(標高270m)
築 城 者  百地氏 築 城 年  16世紀
歴 史 伊賀流忍者の頭目として知られる百地氏はの居城である。百地氏は史実としては殆ど不明であるが、天文13年(1544)の記録から、この頃には北伊賀で勢力を持った土豪になっていたと推察される。
天正9年(1581)の、織田信長軍が伊賀に侵攻した伊賀の乱の際に、百地丹波守城は焼失したとされる。
歴 代 城 主  百地氏


主郭 主郭の北虎口


 <現地説明板の地図>

伊賀市喰代(ほおじろ)の丘陵地に築かれている。
最高所に主郭を配置し、主郭の西側にU郭を、主郭の東側にV郭とW郭を配置する連郭式である。
主郭は70m×40mの長方形をなし、東と北に土塁が良好に残っている。U郭には青雲禅寺の本堂が建っている。


主郭の東側の土塁 主郭の東の堀切


 <アクセス>
県道56号線がL字型に屈折する地点にある伊賀市喰台の永保寺を目指す。県道56号線が屈折する交差点を南へ100m程入り、永保寺の北側の道を東へと折れる。永保寺の前に車を置くスペースがあるが、そのまま100m程進んだ青雲禅寺の下方にも車を置ける広場がある。城跡は青雲禅寺の奥。随所に案内板があるので迷うことはない。(2013.03.17)

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