門司城

所 在 地  福岡県北九州市門司区文字 別 名  亀城
遺 構  曲輪 石垣 形 式  山城(標高175m)
築 城 者  紀伊通資 築 城 年  元暦2年(1185)
歴 史 門司城は、源氏との戦いに備えて平知盛が、紀伊通資に元暦2年に築城させたのに始まるとされる。
建長7年(1255)に藤原親房が豊前代官職として門司城に入り、門司(もんじ)氏を名乗るようになった。
南北朝時代には、門司氏は分裂し、門司城は北朝方に付いた。
戦国時代には、大友氏と大内氏が、大内氏滅亡後は大友氏と毛利氏が争奪を繰り返す場となり、最終的に毛利氏の勢力下になった。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの結果、細川忠興が豊前国に入ると、門司城には長岡勘解由を城代とし置いたが、元和元年(1615)に一国一城令により廃城となった。
歴 代 城 主  紀伊氏 門司氏、大内氏 大友氏、毛利氏、細川氏


山頂の主郭 主郭西面の石垣


門司城は関門海峡を見下ろす古城山の山頂部に築かれており、現状は和布刈(めかり)公園の一部となっている。

 <アクセス>
城跡はJR鹿児島本線「門司港」駅の北西1.7kmの地点。「門司港」駅の東側の国道3号線を北上し、「鎮西橋」信号を直進する。1.5km先を左へカーブすると右手にめかり公園へ入る一方通行の道がある。この道を道なりに1km進むとめかり公園展望台の広い駐車場に出る。この駐車場の左手に門司城跡への案内標識があり、坂道を5分ほど歩くと主郭。(2017.03.20)