宮崎城

所 在 地  宮崎県宮崎市池内町城 別 名  池内城 龍峰城
遺 構  曲輪 空掘 形 式  山城
築 城 者  不明 築 城 年  不明
歴 史 宮崎城の始まりは不明であるが、建武3年(1336)に南朝方の図師氏が立て籠もった記録がある。
文安3年(1446)、宮崎郡は伊東祐堯の領地となり、宮崎城は伊東四八城の一つとなった。
天正5年(1577)、伊東氏は島津氏に追われて豊後に没落した。宮崎城には島津氏の配下の上井氏が入った。
天正15年(1587)の豊臣秀吉の九州攻めに島津氏は降伏し、宮崎郡は延岡城の高橋元種氏の領地となり、宮崎城に配下の権藤氏が入った。
慶長5年(1600)の関ヶ原の役に際して、飫肥城の伊東氏の配下の稲津重政に攻められて宮崎城は落城したが、東軍に寝返っていた高橋氏に返還された。
慶長19年(1614)に高橋氏に替って有馬氏が延岡城に入ると、宮崎城は有馬氏の支配になったが、元和の一国一城令により、廃城になった。
歴 代 城 主 図師氏 伊東氏 土井氏 権藤氏 稲津氏 有馬氏


本丸跡


現地解説板の鳥瞰図

東西約500m、南北約700mの領域に、本丸を中心に服部城、目曳城、彦右衛門城、百貫城などの曲輪が配置されている。


 <アクセス>
日豊本線「蓮ケ池」駅の西北西約3km。国道19号線の「芳士ランプ」を西に出て、2km先の「池内南」信号を北に折れる。600m先の左側に「宮崎城跡」の標識があるのでここへ入ると、300m先に宮崎城の解説板と冠木門が立つ。付近に車一台駐車可能なスペースがある。(2018.10.25)