三岳城

所 在 地  静岡県浜松市北区引佐町三岳 別 名  
遺 構  曲輪 土塁 堀切 形 式  山城(標高467m)
築 城 者  井伊氏 築 城 年  暦応元年(1338年)
歴 史 南北朝時代の暦応元年(1338年)ごろ、後醍醐天皇の第八皇子・宗良親王が井伊氏を頼って三岳城に入城した。
井伊氏は三岳城を本城とし、千頭峯城、大平城などに拠り、北朝方の今川氏に対抗した。しかし暦応2年(1339年)、北朝方の攻撃により三岳城は落城し、宗良親王は大平城へ立ち退いた。
戦国期に入って、遠江全域を支配下に置いた今川氏に対し斯波義達が兵を上げ、井伊氏も呼応して永正7年(1510年)に三岳城に入り、今川氏に対抗したが、今川勢の総攻撃により三岳城は永正10年(1513年)に落城した。
その後も、三岳城は今川氏や徳川氏によって利用されたが、天正年間(1573−92年)に廃城となった。
歴 代 城 主  井伊氏 今川氏 徳川氏


一の城(本丸) 一の城から南西方面を望む


三岳城は、三岳山の山頂部に設けられており、一の城(本丸)、二の城(二の丸)、三の城(出丸)と、尾根に沿って別れた一城別郭である。一の城は、標高467mの山頂にあって最も大きな曲輪。二の城は、一の城より東の一段低い山頂部にある。三の城は三岳神社の境内であり、宗良親王の庵室がこの地にあったとされる。


二の城(二の丸) 三の城に建つ三岳神社本殿


 <アクセス>
三岳城は、新東名高速道路が潜る三岳山の山頂にある。国道257号線の「井伊谷」交差点を東へ折れ、約600mほど進んで、三岳城の案内標識に従って左折する。あとは林道を延々と、慶蔵院の前を通って4kmほど進み、三岳神社へと左折する。この三岳神社の前に広い駐車場がある。三岳神社の横から山道に入って、山頂の一の城まで15〜20分。案内標識があるので迷うことはないが、ちょっとあえぐかも。(2013.03.24)

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