箕輪城
所 在 地 | 群馬県高崎市箕郷町東明屋 | 別 名 | |
遺 構 | 曲輪 石垣 土塁 空堀 堀切 | 形 式 | 平山城 |
築 城 者 | 長野業尚(尚業) | 築 城 年 | 永正年間(1500頃) |
歴 史 | 箕輪城は、永正の初め頃に長野業尚により築城され、長野氏4代の居城となった。 永禄年間になると武田信玄が西上州に侵攻し、永禄9年(1566)に箕輪城は落城した。箕輪城には内藤昌秀などが入ったが、天正10年(1582)に武田氏は織田信長にのり滅ぼされた。 箕輪城には滝川一益が入ったが、直後に本能寺の変が起こり、滝川一益は上州を退去し、箕輪城は北条氏の城となり、北条氏邦などが入った。 天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻め後、徳川家康が関東に入部し、箕輪城には城主として井伊直政が入った。 慶長3年(1598)、井伊直政は居城を高崎に移し、箕輪城は廃城となった。 |
歴 代 城 主 | 長野氏 内藤氏 滝川氏 北条氏 井伊氏(12万石) |
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本丸 箕輪城祭り |
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現地案内板の図 箕輪城は、榛名山の東南麓の独立丘陵に中心部に築かれている。 標高280mの最高部に御前曲輪と本丸を置き、二の丸、三の丸その他曲輪でこれらを囲み、大規模な空堀でこれらを区切っている。 箕輪城後は国指定史跡であり、日本百名城にも選定されており、城址公園として整備されている。 |
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二の丸と木俣の間の大堀切 | 本丸と御前曲輪の間の空堀 |
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御前曲輪西面の石垣 | 三の丸跡と石垣 |
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三の丸西面の石垣 | 鍛冶曲輪南面の石垣 |
<アクセス> 箕輪城は高崎市内にあるがJR高崎駅の北西20kmに位置する。箕郷町西明屋方面に走ると箕輪城の案内標識がある。駐車場は城山の西側の麓と東側の麓にある。(2014.10.26) |