岡崎城

所 在 地  愛知県岡崎市康生町 別 名  龍城
遺 構  曲輪 石垣 堀 再建天守 再建櫓門 形 式  平山城
築 城 者  松平清康 築 城 年  享禄4年(1531)
歴 史 岡崎城は、15世紀前半に西郷頼嗣が砦を築いたのが始まりとされるが、松平清康が享禄4年(1531)に本拠を安祥城から移して本格的な築城をし、岡崎城と称した。松平清康は徳川家康の祖父であり、家康は天文11年(1542)に岡崎城で誕生した。
元亀元年(1570)、家康は本拠を浜松城に移し、嫡男の信康を岡崎城主とした。
天正18年(1590)に徳川家康が関東に移封されると、田中吉政が城主として入った。田中吉政のとき、総構の堀が設けられた。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの後に、田中吉政は筑後柳川に転封され、翌慶長6年(1601)に本多康重が入封した。元和3年(1617)に三層天守が設けられた。
正保2年(1645)、水野忠善が三河吉田より入封する。宝暦12年(1762)、松平(松井)康福が下総古河より入封する。
明和6年(1769)、本多忠粛が石見浜田より入封し、以後、本多氏が幕末まで在封する。
歴 代 城 主 西郷氏、松平氏、田中氏(5万石)、本多氏(5万石)、水野氏(5万石)、松井松平氏(5万石)、本多氏(5万石)


本丸の南面の石垣


岡崎城は、菅生川の北岸の丘陵に設けられている。本丸の北に二の丸、その北東に三の丸が配置され、これらをさらに曲輪群で囲む。さらにその外側を堀で囲む総構の城であり、また総石垣造りの城であった。
現在は、本丸と二の丸が岡崎公園として残されている。また石垣は本丸の周囲に残っている。


再建された天守 再建された大手門


本丸と二の丸の間の石垣 本丸の南側の空堀の石垣


本丸と二の丸の間の石垣 本丸の南側を囲む水掘(龍城堀)


 <アクセス>
東名高速「岡崎」インタ^ーから国道1号線へ出て、西に3km行くと「岡崎公園前」交差点に到達する。岡崎城がある岡崎公園はこの一号線の南側に面している。「岡崎公園前」交差点を南側に曲がると、そのまま駐車場(有料)に入ることができる。バス専用のような表示になっているが、乗用車も停めることができる。(2012.10.21)

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