松代城
所 在 地 | 長野県長野市松代町 | 別 名 | 海津城 |
遺 構 | 石垣 復元堀・門・馬出・土塁 | 形 式 | 平城 |
築 城 者 | 武田信玄 | 築 城 年 | 永禄3年(1560) |
歴 史 | 松代城(海津城)は、武田信玄が上杉謙信と戦うために、4回目の川中島の戦いが勃発する前年の永禄3年(1560)に築かれた。 天正10年(1582)に武田氏が滅んだ後、上杉景勝の所領となり、上杉景勝が会津へ移った後は田丸直昌が城主となった。 慶長5年(1600)に森忠政が入封し、次いで慶長8年(1603)に松平忠輝が入封した。さらに元和2年(1616)に松平忠昌、元和5年(1619)に酒井忠勝が入封した。 元和8年(1622)、真田信之が上田から移封し、以後明治維新まで真田氏が在封した。この間、正徳元年(1711)に幕命により、海津城から松代城へと改称された。 |
歴 代 城 主 | 武田氏 上杉氏 田丸氏 森氏(13.7万石) 松平氏(12万石) 松平氏(12万石) 酒井氏(10万石) 真田氏(13.5万石) |
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本丸の戌亥隅櫓台の石垣 |
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現地解説板の復元図 松代城は、北に千曲川を臨み(川筋は変更されている)、南は山地に連なる位置に築かれていた。本丸を二の丸で囲み、南側に三の丸を配置した平城である。明治6年の大火で全焼し、石垣以外に現存するものはない。 現在、海津城址公園として本丸と二の丸の一部が整備されており、太鼓門、不明門、埋門、水掘、土塁などが復元されている。、 |
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南門跡 | 太鼓門 太鼓橋と高麗門と櫓門 |
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本丸石垣(内側) | 本丸石垣(外側) |
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不明門の櫓門 | 埋門と土塁 |
<アクセス> 松代城跡である海津城址公園は、上信越自動車道の長野ICの出口から南西約1.5kmの位置。長野ICから国道403号線に出て西に折れた後、次の「上高相」交差点を南に折れ、0.7km先の「中町」交差点を西へ折れる。300m先の旧駅前広場を通りぬけてそのまま直進すると、海津城址公園の前の広い無料駐車場に至る。(2013.05.26) |