七尾城

所 在 地  島根県益田市七尾町 別 名  益田城
遺 構  曲輪 土塁 井戸 形 式  山城
築 城 者  益田兼高 築 城 年  建久4年(1193)
歴 史 壇ノ浦の戦功により御神本兼高は建久3年(1192)に益田の地を与えられた。兼高は益田に姓を改め、翌建久4年に七尾城を築城して本拠とした。
益田氏は石見国内で伸長し、時の大勢力である山名氏、大内氏、尼子氏、陶氏に従って地盤を強固なものとした。
毛利氏が陶氏を破って石見に進出すると、弘治3年(1557)、益田藤兼は毛利氏に臣従する。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで敗軍となった毛利氏に従って20代益田元祥は長門に移り、七尾城は廃城となった。
歴 代 城 主  益田氏20代


本丸 厩の段


現地解説板の縄張り図

標高118mの七尾山の全体を城域として、曲輪を配置する。東西二つの丘陵を中心に大小40以上の曲輪が展開されている。


 <アクセス>
七尾城跡は、JR益田駅の東南東約2km。国道191号線がJR山陰線を跨ぐ跨線橋から東に3つ目の信号交差点を南に折れる。道なりに800m進むと突き当りに住吉神社の鳥居が建っている。この鳥居を潜って直進すると、次の鳥居の右手に駐車場がある。この鳥居の階段を上ると住吉神社の殿社に至るが、城跡へはその横から入ることができる。(2017.05.29)