丸山城

所 在 地  三重県伊賀市下神戸 別 名  
遺 構  曲輪 櫓台 土塁 虎口 空堀 など 形 式  山城(標高213m)
築 城 者  北畠(織田)信雄 築 城 年  天正6年(1578)
歴 史 織田信長の二男で伊勢国司の北畠家に養子として送り込まれた北畠信雄は、伊賀を平定するため、天正6年(1578)、家臣の瀧川三郎兵衛に丸山城を築城を命じた。しかし城が完成する前に、伊賀の土豪層に攻撃され敗退した。そこで北畠信雄は軍勢を率いて伊賀に攻め込んだが、再び敗走した。
織田信長は、この敗戦に対して大軍をもって伊賀征伐を命じ、徹底的な攻撃により伊賀を占領した。
伊賀を平定したあと、北畠信雄は丸山城を瀧川三郎兵衛尉雄親に与えた。雄親(雄利)は丸山城を修復し、伊賀支配の根拠とした。
歴 代 城 主  北畠信雄 瀧川雄親


主郭であるT郭 T郭の奥に櫓台(天守台)がある


丸山城は、伊賀盆地の中央部の小高い山に築かれている。主郭(T郭)を中心として南北に曲輪が連なり、また主郭(T郭)の西側にも曲輪が連なる。城域は東西700m、南北500mの範囲に及ぶ。


天守台の上に建つ石碑 T郭の東側虎口の空堀
外側にも空堀があり、二重堀になっている


Z郭 T郭の手前(南側)に位置する U郭 T郭の奥(北側)に位置する


 <アクセス>
城跡は、伊賀鉄道伊賀線丸山駅の南東約500mの位置にある。国道422号線の丸山駅前「丸山」信号を南に約600m進み、消防署を過ぎて直ぐを東へ折れる。踏切を越えて400m程で集落に入る路地がある。この集落の道沿いの山側に丸山城への案内板があるのでお見逃しなく。案内板のある細い道に入って、一軒の民家を過ぎると左側に山へと入る道がある。城跡ヘは獣除けのトタン板を跨ぎながら5分程度。集落内あるいは集落外の道沿いに駐車スペースを見つけて車を置く。(2013.03.17)

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