桑名城

所 在 地  三重県桑名市吉之丸 別 名  扇城
遺 構  堀 石垣 曲輪 櫓台 形 式  平城
築 城 者  一柳直盛 築 城 年  文禄年間(1592〜96) 
歴 史 桑名の地には、戦国時代には伊藤氏の本拠の東城があったが、織田信長によって滅ぼされ、滝川一益の支配を受けた。
豊臣秀吉の時代には、一柳直盛、氏家行広が治めた。桑名城は、文禄年間に一柳直盛が神戸城の天守を移して造営したことに始まる。
慶長5年(1600)、氏家行広は関ヶ原の戦いで西軍に属して改易され、慶長6年(1601)に徳川四天王の一人、本多忠勝が入封した。本多忠勝は東城のあった所を中心に拡張・改修し、四重六階の天守が屹立する近世城郭を造り上げた。
元和3年(1617)、本多忠刻のとき播磨姫路に移封となり、松平(久松)定勝が、山城伏見より入封する。
寛永12年(1635)、松平(久松)定綱が、美濃大垣より入封する。
元禄14年(1701)、城下からの類焼で、天守をはじめ城が全焼する。以後、天守は再建されなかった。
宝永7年(1710)、松平(奥平)忠雅が、備後福山より入封する。
文政6年(1823)、松平(久松)定永が、陸奥白河より入封する。
幕末期の藩主・松平定敬(さだあき)は京都所司代として幕府方につき、戊辰戦争では東北地方・函館と転戦した。この間、国元は新政府に降伏し、無血開城したが、本丸櫓は報復のため焼き払われた。
歴 代 城 主 伊藤氏、一柳氏、氏家氏、本多氏3代(10万石)、松平(久松)氏2代(11万石)、松平(久松)3代(11万石)、松平(奥平)7代(10万石)、松平(久松)4代(11万石)


外堀となる堀川
500mにわたって石垣が残っている。
本丸堀

辰巳櫓跡。元禄14年に天守が焼失した後、桑名城を象徴する櫓であったが、明治維新の際に新政府軍に焼き払われた。 幡龍櫓を模した、水門統合管理所


(現地案内板の桑名城絵図)

桑名城は揖斐川を利用した水城であり、扇形をしているので、扇城とも呼ばれた。
本丸、二の丸、三の丸、新城、吉之丸、外朝日丸などからなる。
現在、本丸と二の丸の跡が、九華(きゅうか)公園となっている。


<アクセス>
国道1号線の、JR・近鉄桑名駅前の「八間通」交差点を東へ折れ、1km少しで、桑名城跡の九華公園に着く。この道沿いに有料駐車場がある。(2012.05.13)


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