久留里城

所 在 地  千葉県君津市久留里 別 名  雨城
遺 構  曲輪 土塁 空堀 井戸  形 式  山城
築 城 者  武田信長 築 城 年  康正5年(1456)頃
歴 史 久留里城は、上総武田氏の出自である武田信長が築城したのに始まるとされる。
16世紀に入ると上総において武田氏は衰退し、安房の里見氏の支配下に入り、天文6年(1537)に里見義堯(よしたか)により新たに久留里城が築かれた。
永禄7年(1564)に北条氏康により攻められ、久留里城は落城したが、永禄10年(1567)に里見義堯は久留里城を奪還した。
天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原平定の際、当主の里見義弘は豊臣方に与したが、勝手な軍事行動を咎められ、安房を残して上総を没収された。
徳川家康の関東入府により、久留里城には大須賀忠政が入った。
慶長6年(1601)に大須賀氏に代わって土屋直樹が入るが、延宝7年(1679)に所領を没収され、久留里城は廃城となった。
寛保2年(1742)、黒田直純が入封し、延享2年(1745)に現在の久留里城を城を再建した。以後明治維新まで黒田氏が在封する。
歴 代 城 主 武田氏 里見氏 大須賀氏(3万石) 土屋氏2代(2万石) 黒田氏9代(3万石) 


本丸に建つ模擬天守 手前は天守台跡


二ノ丸 薬師曲輪


天神曲輪 波多野曲輪


 <アクセス>
久留里城は、JR久留里線・久留里駅の南東約3.7km。久留里駅の前の国道410号線の「久留里」信号交差点を西に折れ、0.5km先の久留里城への案内板がある三差路を右折する。0.6km先に久留里城の駐車場への入口があるので、右折する。あるいは、国道410号線を南下して「久留里」信号から0.8km先の久留里城への案内板がある三差路を左折し、次の交差点を左折してトンネルを抜けると、同じ駐車場に着く。こちらは道が狭いので要注意。(2015.12.12)

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