興国寺城

所 在 地  静岡県沼津市根古屋 別 名  根古屋城
遺 構  曲輪 土塁 空堀 櫓台 形 式  平山城
築 城 者  不明 築 城 年  室町中期
歴 史 興国寺城の築城年は不明だが今川氏の一族により築城された。
長享元年(1487)に今川氏の家督争いでの活躍により、伊勢新九郎盛時(北条早雲)に興国寺城が与えられた。
伊勢盛時は興国寺城を拠点に伊豆へ侵攻し、延徳5年(1481)に堀越公方茶々丸を滅ぼして、韮山城に本拠を移した。
興国寺城は今川氏の元に戻ったが、駿河・甲斐・伊豆の境目にあるため、今川・武田・後北条の争奪の場となった。永禄年間は後北条の城となり、元亀年間以後は武田の城となった。
天正10年(1582)に武田氏の滅亡により、興国寺城は徳川方の城となった。
天正18年(1590)に徳川氏が関東に移封された後、豊臣大名の中村一氏に与えられた。
慶長5年(1800)の関ヶ原の戦いの後に天野康景が入封したが、康景が出奔したことにより改易となり、興国寺城は廃城となった。
歴 代 城 主  今川氏 北条氏 今川氏 武田氏 徳川氏 中村氏 天野氏


本丸 右端は西土塁 手前は北土塁 北土塁上の伝天守台(櫓台)の石垣


現地解説板の城絵図

北から南へと傾斜する斜面を空堀で切断し、本丸、二の丸、三の丸を配置する。
各曲輪は土塁で囲まれており、本丸には高さ6m、底幅20mのの土塁が良好に残存する。


本丸北の大空堀 二の丸


 <アクセス>
城跡は、JR原駅の北北東約2kmの地点。国道1号線の沼津市の「原東町」交差点を北へ折れ、三叉路となる突き当りの「根古屋」交差点を右折する。右折してすぐの道を左折し、200mほど直進すると、城跡に鎮座する穂見神社に着く。右側に駐車場がある。(2014.06.08)