上月城

所 在 地  兵庫県作用郡佐用町上月 別 名  七条城
遺 構  曲輪 堀切 土塁 形 式  山城(標高193m)
築 城 者  上月景盛 築 城 年  鎌倉時代末期
歴 史 上月城は、鎌倉時代末期に、赤松氏一族の上月次郎景盛によって築かれたのに始まるとされる。
嘉吉元年(1441)、嘉吉の乱に際して幕府軍の追討を受け、上月氏は滅んだ。
戦国時代の末期には、織田方と毛利方の境目の城となり、天正5年(1577)に織田方の羽柴秀吉によって攻略された。上月城には、尼子氏再興を目指す尼子勝久と山中鹿之助が入った。
翌天正6年(1578)、上月城は毛利方の大軍に包囲され、羽柴秀吉は救援に向かったが、三木城攻撃のため兵を引いた。このため、上月城は孤立し、尼子勝久は降伏して自刃し、山中鹿之助も殺された。
この天正年間の攻防戦は上月合戦として知られるものであり、上月城はその後、廃城となった。
歴 代 城 主 上月氏、赤松氏、尼子氏


              本丸跡
奥の石碑は、天正5年の上月合戦で落城した際に自刃した赤松政範の慰霊碑。


二の丸跡 本丸の北東の堀切


現地説明板の
上月城跡平面図

標高193m(登山口からの比高100m)の山頂に本丸を置き、二の丸、三の丸などの曲輪を東西に連ねる連郭式山城。


 <アクセス>
上月城は、JR上月駅の南約600mに位置する。国道179号線が交差する国道373号線の「上月三差路」の信号から南500mの三叉路を西へと入ると、右手に「上月歴史資料館」がある。資料館の前の山が上月城跡。説明板のある登山口から山道を約15分登ると、山頂の本丸に着く。車は、資料館の駐車場に停めることができる。(2012.05.27)

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