此隅山城

所 在 地  兵庫県豊岡市出石町宮内 別 名  
遺 構  曲輪 土塁 形 式  山城(比高130m)
築 城 者  山名氏 築 城 年 文中年間(1372-75) 
歴 史 此隅山城は守護大名・山名宗家の居城。
山名氏は室町幕府の四識家であり、最大規模の大名。但馬は山名氏の拠点であり、此隅山に居城を築いた。築城の時期は14世紀後半とされる。
戦国時代に入ると山名氏は勢力を失い、永禄12年(1569)、織田信長の命を受けた羽柴秀吉に攻められ、落城した。
城主の山名祐豊は、天正2年(1574)に居城を有子山城に移し、此隅山城は廃城となった。
歴 代 城 主 山名氏


主郭 主郭からの眺望


現地説明版の地図

標高140mの此隅隅山の山頂部に主郭を設け、四方に放射状に延びる尾根に沿って曲輪を設ける。



 <アクセス>
城跡は、JR豊岡駅の南西約9km。国道428号線の「鳥居橋東詰」信号の一つ北の三差路を東に入る。750m先の出石神社の前を通り抜けて、北へと左折する。500m程先の左側に「此隅山城登城口」「遊歩道」の標識があるのでここから入る。標識は分かり難いかも。山に入っても奥に進まずに右へ直登すべし。まもなくロープが張ってあるので、ロープ沿いに登れば山頂の主郭まで約20分。付近の道端のスペースに駐車できる。(2016.10.30)