小諸城

所 在 地  長野県小諸市古城 別 名  
遺 構  城門(2棟) 石垣 空堀 形 式  平城
築 城 者  武田信玄 築 城 年  天文23年(1554)
歴 史 小諸城の始まりは、木曽義仲の武将の小室太郎光兼が館を築いたのに遡るとされる。
現在残っている城の元になるのは、戦国期に入り、信濃を攻略した武田信玄の命により天文23年(1554)に築かれたものである。天正10年(1582)に武田氏が滅んだ後、滝川一益が入り、次いで徳川家康の将の松平康国が城主になった。
天正18年(1590)、小田原征伐の功で仙石秀久が入城し、このときに城は大修築された。元和8年(1622)、仙石忠政が上田へ転封となり、徳川忠長の甲府府中藩領となる。
寛永元年(1624)、松平忠憲が美濃大垣から入封する。慶安元年(1648)、青山宗俊が入封する。寛文2年(1662)、酒井忠能が上野那浪より入封する。延宝7年(1679)、西尾忠成が駿河田中より入封する。天和2年(1682)、石川乗政が常陸小張より入封する。
元禄8年(1742)、牧野康重が越後与板より入封する。以後、明治維新まで牧野氏が在封した。
歴 代 城 主 武田氏 滝川氏 松平氏 仙石氏(5万石) 徳川氏 松平(久松)氏(4.5万石) 青山氏(4.2万石) 酒井氏(3万石) 西尾士(2.5万石) 石川氏(2万石) 牧野氏(1.5万石)


大手門(重要文化財)


小諸城は城下町より低い位置にある「穴城」である。低い場所にあるにもかかわらず、城の西側は千曲川の断崖に守られ、各曲輪は谷のように深い空堀で囲まれており、防御性は高い。
現在、懐古園という名で知られた桜の名勝となっており、天守台などの石垣が残る。また現存建築物として大手門と三の門がある。


三の門(重要文化財) 寄棟造は珍しい 二の門跡


二の丸虎口 空堀(紅葉谷)


黒門跡 本丸虎口


本丸石垣(櫓台) 本丸石垣(天守台)


 <アクセス>
小諸城跡である懐古園は、JR小諸駅の裏(西側)に面している。国道141号線の「本町」交差点を西に入り、JR線を潜って直ぐの信号を左折する。200m程で懐古園の案内標識があるので、そこを右折すると、懐古園の広い有料駐車場に着く。大手門は懐古園の外に建っており、三の門の前の地下通路を潜ってJR線を越え、左前方に見える公園内にある。(2013.05.28)