北畠具親城

所 在 地  三重県名張市神屋 別 名  
遺 構  曲輪 土塁 空堀 形 式  山城(標高442m)
築 城 者  北畠具親 築 城 年  天正5年(1577)
歴 史 天正4年(1576)、伊勢国司・北畠具教は養子にした北畠(織田)信雄に謀殺された。興福寺で出家していた具教の弟北畠具親は、天正5年(1577)に還俗し、北畠家再興に決起した。
北畠具親城は、天正5年(1577)に築城され、具親の活動の拠点となった。
しかし北畠具親は織田勢に敗れ、安芸の毛利氏を頼って落ち延びたとされる。また天正10年(1582)に織田信長が本能寺で打たれると、北畠具親は再起したが再度敗れた。その後、天正12年(1584)に蒲生氏郷が伊勢に入封すると、北畠具親は氏郷の客分として遇されたが、天正14年(1586)に病死した。
歴 代 城 主  北畠具親


北畠具親城の南側からの全景


北畠具親城は、標高442mの通称城山に築かれている。比高は66m。南北300m、東西200mの範囲で曲輪を連郭式に配置している。


U郭と周囲の土塁 T郭の南側の空堀


 <アクセス>
近鉄名張駅から南東方向約5kmの、名張市長瀬の国津小学校をめざす。国津小学校の前の県道693号線から東側の集落に入る。集落内に車を置くことは難しいので、県道693号線沿いの道路脇に駐車するのがよい。集落の中ほどの民家脇に「北畠具親城入口」の表示板がある。この民家脇の細い道から城跡に入ることができる。主郭まで約5分程度。(2013.03.17)

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