要害山城

所 在 地  和歌山県西牟禮郡白浜町富田 別 名  馬谷(うまんだに)
遺 構  曲輪 堀切 形 式  山城
築 城 者  吉田春秀 築 城 年  明応3年(1494年)
歴 史 要害山城は、吉田春秀によって明応3年(1494年)に築かれたとされる。
吉田氏は安宅氏の被官であり、龍松山城の山本氏に備えるために、要害山城を築いたといわれる。
詳細は不明。
歴 代 城 主  吉田氏


一の曲輪 三の曲輪


 堀切

要害山城は、通称城山の標高88mの山頂に築かれている。
一の曲輪(主郭)の東西に二の曲輪と三の曲輪が配置されている。


 <アクセス>
国道42号線を「富田橋」から南に1km走った三叉路に、「草堂寺」「大辺路」の案内標識がある。ここを東へ入り、道なりに0.6km直進すると、突き当りが草堂寺の駐車場(草堂寺へは国道42号線から川沿いの道で行くこともできるが道が狭い)。車は草堂寺の駐車場に置かせて貰う他はない。草堂寺を正面にみて右側に大辺路があり、ここから歩き始める。次の交差を「峠の茶屋」方向へと左へ折れ、要害山城の説明板の前を通過して、次の交差を左に曲がる。少し歩くと、右手に要害山城跡の案内標識のある山道がある。山道に入って260mで城跡に着く。(2014.03.24)