勝山館

所 在 地  北海道檜山郡上ノ国町勝山 別 名  和喜館 脇館
遺 構  曲輪 土塁 空堀 形 式  山城
築 城 者  武田(蠣崎)信広? 築 城 年 寛正3年(1462)頃
歴 史 勝山館の築城時期と築城者は確定されていないが、寛正3年頃に武田信広により築城されたとの説が有力。
武田信広は若狭守護家・武田氏の出自とされ、蝦夷地に渡って花沢館の蠣崎季繁の客将となり、蠣崎氏の婿養子となって蠣崎姓に改めた。信広は長禄元年(1457)のシャコマインを首領とするアイヌの蜂起を鎮圧し蠣崎氏の中での地位を固めた。婿養子になったのはアイヌの蜂起を鎮圧した後という説もある。
勝山館は蠣崎氏の日本海側の拠点として使用されたが、蠣崎信広の子の光広の代になって、永正10年(1513)に松前大館がアイヌの攻撃を受けて陥落すると、光広は大館に居館を移した。
勝山館には光広の子の高広が城代として配置され、蠣崎氏の副城となった。
歴 代 城 主  蠣崎氏


本曲輪から日本海を望む


  現地解説板の地図

標高約159kmの夷王山の中腹の、日本海を見渡せる位置にある。東西約250m、南北約500mの範囲で築かれており、本曲輪と北曲輪からなり、日本海側の北側を大手、南側を搦手とする。


大手門跡 搦手門跡


 <アクセス>
勝山館跡は、上ノ国の市街地から西の方向。国道228号線の海側に面する「道の駅もんじゅ」から約200m東に勝山館跡の標識がある三差路を山側へ入る。道なりに1.5km進むと「館山城館ガイダンス施設」の駐車場に着く。勝山館跡はガイダンス施設の裏から数分。(2017.07.03)