交野城

所 在 地  大阪府交野市私部6丁目 別 名  私部城
遺 構  曲輪 堀 形 式  平城
築 城 者  安見右近 築 城 年  永禄8年(1565)
歴 史 交野城は永禄8年に安見右近により築城されたとされる。安見右近は河内の実力者・安見宗房と同族一族であるが、松永秀久の配下となって、交野城を築いた。
織田信長の上洛後、松永秀久と安見右近は信長の配下になったが、元亀2年(1571)信長に反旗を翻した松永秀久によって安見右近は殺害され、交野城も攻められた。
天正3年(1575)に織田信長によって河内が平定された後、天正9年(1581)に交野城は廃城となった。
歴 代 城 主  安見氏


本曲輪と二ノ曲輪の間の空堀跡

交野城は交野市の北部の丘陵に築城された。
本曲輪の西に二ノ曲輪、東に三ノ曲輪が配置されていた。二ノ曲輪に「天守」という地名がある。

城跡は宅地化しており、残存状態は良くない。


 <アクセス>
京阪交野線「交野駅」の東400mに交野市役所があり、その西側の交差点を北へ150m進むと交野郵便局がある。この郵便局の道を隔てた東側一帯が城跡。駐車場はないので、市役所の近くのスーパーあるいはコンビニを利用する。(2015.06.14)