刈谷城
所 在 地 | 愛知県刈谷市城町 | 別 名 | 亀城 |
遺 構 | 水掘 曲輪 土塁 | 形 式 | 平山城 |
築 城 者 | 水野忠政 | 築 城 年 | 天文2年(1533) |
歴 史 | 刈谷城は、三河の国人、水野忠政によって天文2年(1533)に築城された。 永禄3年(1560)の桶狭間の戦いでは、忠政の子の信元が織田方に属したので、今川勢に攻められて、城は炎上した。 一時、佐久間信盛が城主となるが、水野忠重が城主として復帰し、その子の勝成のとき、慶長5年(1600)に城は再建された。 以後、元和2年(1616)、水野忠清が上野小幡より入封。寛永9年(1632)、松平(深溝)忠房が三河吉田より入封。慶安2年(1649)、松平(久松)定政が伊勢長島より入封。慶安4年(1651)、稲垣重綱が越後三条より入封。元禄15年(1702)、阿部正春が上総大多喜より入封。宝永7年(1710)、本多忠良が越後村上より入封。正徳2年(1712)、三浦明敬が日向延岡より入封。 延享4年(1747)、土井利信が三河西尾から入封し、以後、土井氏が幕末まで在封した。 |
歴 代 城 主 | 水野氏、佐久間氏、水野氏(3万石)、水野氏(2万石)、深溝松平氏(3万石)、久松松平氏(2万石)、稲垣氏(2.3万石)、阿部氏(1.6万石)、本多氏(5万石)、三浦氏(2.3万石)、土井氏(2.3万石) |
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本丸の東側に一部が残る水堀 |
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本丸 | 本丸の西側の土塁 |
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現地案内板 刈谷城は、境川の東側の台地を利用した平山城。 本丸の東側と南側に二の丸、さらにその東に三の丸などが配置された、大規模な城郭であった。 現在は本丸と二の丸の一部、水掘の一部が亀城公園として残るだけであり、残存状態は良くない。 |
<アクセス> 刈谷城跡のある亀城公園は、JR刈谷駅の西2km。JR刈谷駅の北側を横切る県51号線の「司町」交差点を北へ500m、「城町」交差点を左折すると、亀城公園の入り口。公園用の駐車場はないので、周囲の体育館、球場等の施設の駐車場を利用する。(2012.10.21) |