唐津城

所 在 地 佐賀県唐津市東唐津城内8番1号 別 名  舞鶴城 
遺 構 曲輪 石垣 掘 復興櫓・櫓門・塀 模擬天守 形 式  平山城
築 城 者  広沢広高 築 城 年 慶長7年(1602)
歴 史 文禄2年(1593)、上松浦の領主の波多氏が豊臣秀吉により追放されると、広沢広高は肥前唐津を与えられた。
広沢広高は関ヶ原の役の功により肥後天草を加増され、慶長7年から7年を要して唐津城を築いた。
寛永14年(1637)、2代藩主・堅高のとき、島原の乱が起こり、天草領を没収される。正保4年(1647)、堅高は自害し、無嗣断絶となり、唐津は天領となる。
慶安2年(1649)、大久保忠職が播磨明石より入封し、唐津藩を再興する。延宝6年(1678)、大久保氏は下総佐倉に転封となり、松平乗久が入封する。元禄4年(1691)、松平氏は志摩鳥羽に転封となり、土井利益が入封する。宝暦12年(1762)、土井氏は下総古河に転封となり、水野忠任が入封する。文化14年(1817)、水野氏は遠江浜松に転封となり、小笠原長昌が入封し、小笠原氏が明治維新まで在封する。
歴 代 城 主 広沢氏2代(12.3万石) 大久保氏2代(8.3万石) 松平(小給)氏3代(7.3万石) 土井氏4代(7万石) 水野氏4代(6万石) 小笠原氏5代(6万石)


唐津城本丸全景
天守は本来はなく、観光用の模擬天守


現地案内板の「唐津城下町繪図」

唐津湾に半島状に突出する高さ40mの満島山に本丸が築かれている。本丸から二の丸、三の丸、外曲輪と続く。
本丸が舞鶴公園として整備されている。


本丸石垣 大手登り口石垣


二の丸石垣 二の丸と三の丸の間の堀


 <アクセス>
唐津城跡の舞鶴公園は、JR唐津線「唐津」駅の北東約1.2km。舞鶴公園の道を挟んだ南側に駐車場(有料)がある。(2018.05.22)