松山城

所 在 地  福岡県京都郡苅田町松山 別 名  神田城
遺 構  曲輪 石垣 石段 空堀 土塁 形 式  山城(標高120m)
築 城 者  藤原広嗣 築 城 年  天平12年(740)
歴 史 松山城は、太宰権帥の藤原広嗣が朝廷に反旗を翻した藤原広嗣の乱の際に、築城いたのに始まるとされる。
以後、平安時代は神田氏・平氏、鎌倉時代は城井氏・長野氏、南北朝時代は小弐氏と城主は入れ替わり、戦国期には大内氏、大友氏、毛利氏が争った。
天正14年(1586)の豊臣秀吉による九州平定後、松山城は黒田孝高の所領となった。
さらに慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの後は細川忠興の所領となったが、慶長11年(1606)に松山城は廃城となった。
歴 代 城 主 藤原氏 神田氏 平氏 城井氏 長野氏 小弐氏 大内氏 大友氏 毛利氏 黒田氏 細川氏


主郭の石段


松山(標高120m)の山頂に主郭を置き、二の郭、三の郭が連なる。
石垣と石段が残る。


主郭の石垣 主郭の東面の空堀と土塁


 <アクセス>
城跡のある松山城は、東九州自動車道「苅田北九州空港」ICの北東約2km。ICを下りて直ぐの「空港・IC入口」信号交差点を東へと右折する。次の「松原町」信号交差点を北へと左折し、300m先の突き当りを右折し(松山城の表示あり)、さらに130m先の三差路を左折する。道なりに200m進むと、松山城登山者用の駐車場がある。駐車場から10分ほどで、山頂の主郭に着く。(2019.03.20)