亀丘城

所 在 地  長崎県壱岐市郷ノ浦町本村触大里 別 名  亀尾城
遺 構  曲輪 石垣 土塁 形 式  山城
築 城 者  波多宗無(しゅうむ) 築 城 年  永仁2年(1294)
歴 史 波多氏は松浦党の一員であり、元寇(弘安の役)の後に壱岐に進出した。亀丘城は壱岐進出の拠点として、波多宗無により永仁2年(1294)に築城された。
波多泰は、文明4年(1472)に壱岐全島を掌中に収め、亀丘城を修築して入った。
天文11年(1542)に波多盛が嗣子のないまま没すると、後継者を巡る内紛が生じ、永禄7年(1564)に重臣の日高氏が謀反し、亀丘城は日高喜(このむ)によって奪われた。
日高氏は元亀2年(1571)に松浦氏に従属することになり、以後壱岐は平戸の松浦氏の領地となる。江戸時代を通じて、平戸藩の松浦氏は亀丘城に城代をを派遣して統治した。
歴 代 城 主  波多氏 日高氏 松浦氏


本丸の北面に残る石垣 本丸跡


亀丘城は、本丸、二の丸、三の丸からなる。現状は、本丸跡が亀岡公園となっているが、遺構は少なく、公園の北面の一部に石垣が残っているのみ。


 <アクセス>
壱岐市役所の前(東側)の道の、市役所の南側の三叉路を東へ入る。突き当りを左折し、さらに突き当りを右折すると、城跡のある公園へと至る。市役所の駐車場を貸してもらうのが便利。(2012.10.29)


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