岩屋城

所 在 地  岡山県津山市中北上 別 名  
遺 構  曲輪 竪堀 井戸 土塁 形 式  山城(標高482m)
築 城 者  山名教清 築 城 年  嘉吉元年(1441)
歴 史 岩屋城は、嘉吉元年(1441)に、山名教清が嘉吉の乱の論功行賞で美作国の守護職に任じられた際に、築城されたとされる。
以後、美作西部の要所として、応仁の乱以来、山名氏、赤松氏、浦上氏、尼子氏、宇喜多氏、毛利氏と、支配が目まぐるしく変わる。
天正10年(1582)、備中高松城の開城に伴う織田氏(羽柴秀吉)と毛利氏の講和により、岩屋城は再び宇喜多氏に属することになった。
岩屋城には宇喜多氏の家臣の長船越中守が入城したが、天正18年(1590)に野火のために城郭は焼失し、以後、岩屋城は廃城となったとされる。
歴 代 城 主 山名氏、赤松氏、浦上氏、尼子氏、宇喜多氏、毛利氏、宇喜多氏


12本並ぶ竪堀群の一部 通称「てのくぼり」


本丸跡 馬場跡


二の丸跡 三の丸跡


現地案内板の
岩屋城地図

最高所の本丸の東側に二の丸や三の丸が配置され、本丸の南側に平行に馬場と伝わる広い曲輪が配置されている。

登山口は二か所あるので、一方から登って他方へ下ることで、城域の全体を巡ることができる。


 <アクセス>
岩屋城がある岩屋山は、JR坪井駅と美作追分駅の間の国道181号線の北方にある。国道181号線の「山根」交差点から西に1.1kmの地点の三叉路(信号はない)の北側に岩屋城の案内標識がある。国道181号線から北側に入る道は二股になっているが、その左側の細い道へと進む。この道を川に約1km沿って進むと、岩屋城の説明板がある駐車場に着く。駐車場から本丸まで、山道を約35分。標識が随所にあるので、迷うことはない。(2012.05.28)

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