梁川城

所 在 地  福島県伊達市梁川町鶴ケ岡 別 名  鶴ケ城
遺 構  曲輪 土塁 形 式  平山城
築 城 者  伊達氏 築 城 年  鎌倉時代初期
歴 史 梁川城は、文治5年(1189)に伊達氏が奥州合戦の功により伊達郡に入った際に築城されたとされる。以後、伊達氏は梁川城を居城としたが、天文元年(1532)に伊達稙宗は桑折西山城に居城を移した。居城が移ってからも、梁川城は重要拠点として維持され、一族や有力家臣が城主となった。
天正18年(1590)の奥州仕置により伊達政宗が岩出山城へ転出した後、梁川城は蒲生氏の支配するところとなり、さらに慶長3年(1603)には上杉氏の支配するところとなった。
寛文4年(1664)、当主の上杉綱勝が無嗣のまま急死し、吉良義央の子の綱憲が養子として継いだが、上杉氏は30万石から15万石に減封され、梁川は天領となり、廃城となった。
歴 代 城 主 伊達氏 蒲生氏 上杉氏


本丸跡の梁川小学校敷地 本丸跡の土塁


現地の梁川城図
梁川城の本丸跡は梁川小学校の敷地、二の丸のうち東側の二の丸跡は浅間神社・梁川幼稚園・梁川中学校の敷地、西側の二の丸跡は梁川高等学校の敷地となっている。


 <アクセス>
梁川城本丸跡の梁川小学校は、阿武隈急行線梁川駅の北東約1.2kmの位置。国道349号線からスーパー「ヨークベニマル」のある信号交差点を東に入り、そのまま直進していくと、小学校へと入る坂道になる。この坂道を上がると、小学校の構内になるが、空きスペースに駐車できる。坂道の途中に城の地図を掲示する看板がある。(2013.06.13)