岩崎城

所 在 地  愛知県日進市岩崎町市場67番地 別 名  
遺 構  曲輪 空堀 土塁 模擬天守 形 式  平山城
築 城 者  織田秀信 築 城 年 享禄年間(1528-31)
歴 史 岩崎城は、織田秀信(信長の父)により享禄年間(1582-31)に築城された。
その後、松平方に奪われて、丹羽氏清が城主となり、以後、氏織・氏勝・氏次の4代が在城した。
天正12年(1584)、小牧・長久手の戦いの際には、徳川勢の後方攪乱を狙った豊臣勢の池田恒興により攻められ、城代の丹羽氏重の他、守備の城兵は全滅した。この岩崎合戦に池田勢が足止めされ、徳川勢の勝利につながったといわれる。
慶長5年(1600)の関ヶ原合戦に際して、岩崎城主の丹羽氏次は戦功を挙げ、三河伊保に1万石で移封された。これにより、岩崎城は廃城となった。
歴 代 城 主 織田氏 丹羽氏4代


本丸と二の丸の間の空堀 二の丸の西側の土塁と空堀


本丸に建つ模擬天守

展望塔として、昭和62年に建てられた。
勿論、天守建物は存在しなかった。


本丸東南部の隅櫓跡 礎石が出土した 井戸跡


 現地案内板

本丸と二の丸からなる小規模な城郭である。
現在、岩崎城址公園として整備されている。曲輪が明瞭な形で残っており、また空堀も見応えがある。
展望塔の模擬天守の他、城郭建築風の岩崎城歴史記念館(入場無料)もある。


 <アクセス>
城跡のある岩崎城址公園は、名鉄豊田線日進駅の横を南北に走る県道57号線沿いにある。日進駅から3km北の「岩崎」交差点からさらに300m北上した東側に、岩崎城址公園へ入る道がある。中央分離帯により右折できないので注意。この道に入ったらすぐ右に公園の駐車場がある。(2012.10.21)

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