岩切城
所 在 地 | 宮城県仙台市宮城野区岩切入山 | 別 名 | 高森館 鴻の館 |
遺 構 | 曲輪 堀切 切岸 | 形 式 | 山城 |
築 城 者 | 留守(伊沢)氏 | 築 城 年 | 鎌倉時代前期 |
歴 史 | 文治5年(1189)に平泉藤原氏が滅んだあと、源頼朝は井沢家景を陸奥国の留守職に任じた。伊沢氏は留守氏を名乗って岩切城を居城とした。 南北朝期の貞和2年(1346)、奥州管領として吉良貞家と畠山国氏が任命されるが、足利家の兄・尊氏と弟・直義が対立すると、吉良家と畠山家も二派に分かれて争い、留守氏は畠山氏とともに尊氏側についた。しかし正平6年(1351)に留守氏は岩切城での合戦に敗れ、岩切城は落城し、留守氏は没落した。 その後、留守氏は伊達氏と結んで勢力を回復したが、元亀年間(1570-73)に居城を利府城に移したことに伴って、岩切城は廃城となった。 |
歴 代 城 主 | 留守氏(伊沢氏) |
主郭の北面の切岸 岩切城は、両側が急峻な尾根沿いに、複数の曲輪が階段状に連続する連郭式縄張りである。 |
主郭と第二郭の間の堀切 | 第三郭 |
<アクセス> 岩切城跡がある高森山公園は、JR岩切駅の北西約2kmにある。県道8号線と県道35号線が交差する「洞ノ口」交差点を西へと県道35号線に入り、0.6km先の、「県民の森」の案内標識がある三叉路を北へ入る。道なりに1.5km進むと、右側に城の碑や解説板が建っている。城跡はここからすぐ。解説板の近辺のスペースに車を数台置くことができる。(2013.06.09) |