岩出山城

所 在 地  宮城県大崎市岩出山城山 別 名  岩出山要害 臥牛城
遺 構  曲輪 土塁 空堀 形 式  山城
築 城 者  氏家氏 築 城 年  応永年間(1394-1428)
歴 史 岩出山城は、応永年間(1394-1428)に大崎氏の家臣・氏家弾正が築城したのに始まるとされる。
天正18年(1590)の小田原合戦後に、豊臣秀吉は奥州仕置を行ない、葛西・大崎旧領を木村吉清に与えるが、一揆が発生し、翌天正19年(1591)に伊達政宗を米沢から葛西・大崎旧領に移封した。この移封に先だって、岩出山城は徳川家康の手により改修され、伊達政宗に引き渡されたといわれる。
伊達政宗は、慶長8年(1603)に仙台城を築いて移るまで12年間、岩出山城を居城とした。
元和元年(1615)の一国一城令のあとも、岩出山城は「要害」という名で、政宗の4男の宗泰を初代とする岩出山伊達氏の居城として、明治維新まで続いた。
歴 代 城 主 氏家氏 木村氏 伊達氏 岩出山伊達氏(1.5万石)


本丸跡 本丸と西の腰廊の間の土塁


現地案内図
岩出山城は、外堀をめぐらした東西800m、南北700mの規模であり、主要な曲輪の本丸・二の丸・三の丸は深い堀切で区画されていた。
現在、本丸と二の丸は城山公園となっており、三の丸は学校敷地などになっている。


 <アクセス>
岩出山跡は、JR有備館駅の南南西350mの城山公園にある。岩出山の市街地を南北に走る県道226号線の「本町」交差点を西に折れる。次の交差点に公園の案内標識があるので、そのまま直進して坂道を上がると、蒸気機関車が鎮座した駐車場に着く。(2013.06.10)