一関城

所 在 地  岩手県一関市釣山 別 名  
遺 構  曲輪 井戸 形 式  山城
築 城 者  小野寺道照 築 城 年 天正年間(1573-92)
歴 史 一関城のある釣山は古代から軍事上の要衝であり、征夷大将軍・坂上田村麻呂の陣地などになったとされる。
鎌倉時代に入ると葛西氏が支配するようになった。そして天正年間に家臣の小野寺道照を一関に入れ、釣山に一関城を築かせた。
天正18年(1590)の豊臣秀吉による奥州仕置で葛西氏は所領を没収され、一関は伊達政宗の領地になった。
慶長9年(1604)、一関城に政宗の叔父・留守政景が入ったが、寛永16年(1641)、政宗の子の宗勝に一関が分知され、仙台藩の支藩として一関藩が成立した。
寛文11年(1671)、伊達騒動により伊達宗勝は土佐に配流された。
天和2年(1682)、伊達家の分家の田村建顕が岩沼が移って藩主となった。田村氏は一関城には入らず、釣山の麓に陣屋を構えた。
歴 代 城 主 小野寺氏 留守氏(2万石) 伊達氏(3万石) 田村氏(3万石)


本丸跡 井戸


一関城は、釣山に築かれており、山頂の本丸を中心に北側斜面を階段状に整地して曲輪が形成されていた。田村氏は入封したあと、陣屋を構えて、釣山への入山を厳しく制限した。
釣山の城跡は釣山公園となっている。また、陣屋跡は裁判所や駐車場などに化しており、遺構はない。


 <一関城>
城跡の釣山公園は、JR一関駅の西約800m。一関駅の駅前から0.7km西の国道284号線の「上の橋」信号交差点を南に折れ、道なりに200m行くと、北側に釣山公園用の駐車場がある。(2016.07.24)

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