飯盛山城

所 在 地  大阪府大東市・四条畷市 別 名  飯盛城
遺 構  曲輪 石垣 土塁 土橋 堀切 形 式  山城(標高314m)
築 城 者  佐々目憲法 築 城 年  建武年間(1334-1338)
歴 史 飯盛山城は、南北朝の初期に佐々目憲法によって築城されたのに始まるとされる。
戦国時代に入り、享禄4年(1531)に河内守護の畠山義堯が守護代の木沢長政に命じて飯盛山城を恒久的な居城に改修させた。
木沢氏が没落した後、安見宗房が城主となるが、永禄3年(1560)、三好長慶が入城し、居城とした。この時に飯盛山城は大幅に改修され、現在みられる規模になった。
三好長慶が永禄7年(1564)に死亡した後、飯盛山城は三好義継や三好三人衆によって支配されていたが、織田信長によって河内が平定され、天正4年(1576)に飯盛山城は廃城となった。
歴 代 城 主  佐々目氏 木沢氏 安見氏 三好氏 


御体塚郭の東面の石垣 展望台郭の東面の石垣


現地の飯盛山城案内マップ

飯盛山の山頂部に、南北約650m、東西約400mの範囲で築かれている。
尾根に沿って、千畳敷郭、高櫓郭、展望台郭、穴口郭、三本松郭、御体塚郭、北の丸郭が連なる。


千畳敷郭 山頂の高櫓郭


 <アクセス>
飯盛山城址は、飯盛山ハイキングコース上にある。ハイキングコースの登山口は、野崎観音と四条畷神社にあり、一方から登って他方へ降るのがおすすめ。人気ハイキングコースなのでルートは整備されており、危険な個所はないが、楽ではない。山頂部の高櫓郭まで、野崎観音から60分、四条畷神社から50分。野崎観音はJR片町線(学研都市線)の野崎駅から東に徒歩10分、四条畷神社は四条畷駅から東に徒歩10分。(2015.06.14)