羽衣石城

所 在 地 鳥取県東伯郡湯梨浜町羽衣石 別 名  
遺 構  曲輪 石垣 土塁 堀切 井戸 形 式  山城(標高376m)
築 城 者  南条貞宗 築 城 年 貞治5年(1356)
歴 史 羽衣石(うえし)城は、東伯耆の有力国人・南条氏の居城として、南北朝期の貞治5年に南条貞宗により築城された。
大永4年(1524)、南条宗勝のとき、尼子経久により羽衣石城は攻略され、尼子国久が入った。
南条氏は尼子氏に従い、次いで大内氏に従うが、台頭してきた毛利元就の支援により、南条宗勝は永禄5年(1562)に羽衣石城に復帰した。
天正3年(1575)、宗勝の急死により南条元続(もとつぐ)が家督を継ぐが、天正7年(1579)に織田氏が山陰に進出すると、南条元続は織田方に寝返った。羽衣城は毛利氏に攻められて落城したが、羽柴秀吉の助力により取り戻した。
天正10年(1582)、羽衣石城は毛利方により落城し、南条元続は京都に逃れた。
天正13年(1585)、豊臣秀吉と毛利氏の間で領土確定が行なわれ、羽衣石城に南条元続が復帰する。
慶長5年(1600)の関ヶ原の役で、元続を継いだ南条元忠は西軍に属して敗北し、追放された。羽衣石城はこのとき廃城となった。
歴 代 城 主  南条氏 尼子氏 南条氏 山田氏 南条氏


山頂の主郭 模擬天守が建つ 石垣


 山頂の主郭の縄張図

羽衣石城は、羽衣伝説で有名な羽衣石山築かれている。山頂部の古城曲輪群、西尾根の上中谷曲輪群、北西尾根の八幡平曲輪群・二ノ上谷曲輪群からなる。


 <アクセス>
羽衣石城跡は、JR山陰線「倉吉駅」の東南東約5km。県道22号線の羽衣石橋の西側の信号交差点を南に入る(羽衣石城の案内標識あり)。2.8km先の三差路に羽衣石城の標識があり、ここを左に折れる。1.4km先の道路の終点にトイレと駐車場があり、ここから山に入る。山頂の羽衣石城へは15分のルートと20分のルートがある。(2018.09.12)