二俣城
所 在 地 | 静岡県浜松市天竜区二俣町 | 別 名 | |
遺 構 | 曲輪 石垣 天守台 空堀 土塁 | 形 式 | 平山城 |
築 城 者 | 瀬名一秀 | 築 城 年 | 永正年間(1504-1521) |
歴 史 | 二俣城の築城時期は定かではないが、今川氏の一族の瀬名一秀が永正年間に在城した。その後、二俣氏、松井氏3代と続くが、永禄11年(1568)に徳川家康の手に落ちた。 以後、徳川氏と武田氏の争奪の舞台となり、元亀3年(1572)に、武田信玄により二俣城は攻略された。一方徳川家康は、天正3年(1575)に、鳥羽山城などを築いて二俣城を包囲し、兵糧攻めを行なって奪回した。 二俣城には大久保忠世が入って居城とした。大久保忠世が在城中の天正7年(1579)、徳川家康の嫡子・信康が織田信長の命で、二俣城で自刃する事件があった。 天正18年(1590)、徳川家康の関東転封の後、浜松城主となった堀尾吉晴の弟・宗光が入城した。関ヶ原の後の慶長5年(1600)、堀尾吉晴が出雲松江に移封となったあと、二俣城は廃城となった。 |
歴 代 城 主 | 瀬名氏、二俣氏、松井氏、徳川氏、武田氏、大久保氏、堀尾氏 |
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天守台 |
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現地解説板の二俣城図 最高所に置かれた本丸を中心に、南に二ノ丸、蔵屋敷、南曲輪を、北に北曲輪を、一直線状に配置し、他にいくつかの腰曲輪や帯曲輪がある。 本丸の西寄りに設けられた野面積の天守台は、堀尾氏の時代のもの。 |
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本丸 奥は東側の土塁 | 本丸北虎口 食違い虎口になっている |
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本丸南虎口 枡形になっている | 二の丸の追手虎口 |
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二の丸東側の空堀 | 蔵屋敷 |
<アクセス> 浜松市天竜区二俣の市街地を縦断する国道152号線の、鳥羽山トンネルの北出口から2つ目の信号の十字路を北西側へ曲がる。道なりに進むとすぐ二股になるので、左側の坂道を上る。そのまま道なりに進むと、観光案内板のある駐車場に着く。駐車場は数台程度の広さであるが、ここから城跡に入っていける。(2013.03.25) |