小田城
所 在 地 | 茨城県つくば市小田2532 | 別 名 | |
遺 構 | 曲輪 土塁 掘 虎口 | 形 式 | 平城 |
築 城 者 | 八田知家 | 築 城 年 | 文治元年(1185) |
歴 史 | 小田城は、文治元年に八田知家により築城されたのに始まる。八田宇氏は小田氏を名乗り、小田城を居城として勢力を張った。 南北朝の初期、小田氏は南朝方に属し、北畠親房を小田城に迎え、親房はここで「神皇正統記」を執筆した。しかし高師冬に攻められて暦応4年(1341)に降伏し、北朝方に転じた。 康暦2年(1380)-至徳4年(1387)の小田氏の乱により、小田氏は弱体化し、戦国時代に入って北条氏や結城氏と争うが、いずれも敗退している。 小田氏治の代になって勢力を盛り返すものの、永禄12年(1569)の手這坂の戦いにおいて佐竹氏に敗れ、小田城を失った。 小田城には佐竹氏の配下の太田資正が城主となり、さらにその死後には子の梶原政景が城主となった。さらに梶原政景に代わって木場義宗が小田城に入った。 慶長7年(1602)、佐竹氏が出羽久保田に移封されるの木場義宗も従い、小田城は廃城となった。 |
歴 代 城 主 | 小田氏 太田氏 梶原氏 木場氏 |
復元された本丸の全景 |
現地解説板の縄張り地図 本丸(曲輪T)を曲輪U〜]が囲み、各曲輪は掘で画されている。本丸(曲輪T)の南西と東には馬出曲輪が設けられている。 |
本丸の東掘 | 本丸の南掘 |
<アクセス> 常磐自動車道「土浦北」ICの北西約7kmの位置。「土浦北」ICから国道125号線に入り、北東へ7.5km先の「小田十字路」信号(小田城の案内板あり)を西へ入る。次の十字路を左折し、さらに次の十字路を右折して、500m先の三差路を左折する。200m先の突き当りに小田城跡案内所と駐車場がある。(2019.09.20) |