廣瀬城

所 在 地  岐阜県高山市国府町名張 別 名  田中城
遺 構  曲輪 竪堀 堀切 切岸  形 式  山城(標高620m)
築 城 者  廣瀬利治 築 城 年  室町後期
歴 史 廣瀬城は、古川盆地を支配した廣瀬氏の本拠であり、室町後期に廣瀬利治により築城された。
天正11年(1583)、飛騨地方で勢力を延ばした三木自綱(みつきよりつな)によって廣瀬氏は滅ぼされ、廣瀬城は三木氏によって整備改修された。
天正13年(1585)、飛騨は豊臣秀吉の家臣の金森長近による侵攻を受け、三木自綱は敗れて京都に逃れた。
歴 代 城 主  廣瀬氏 三木氏


西の曲輪の北面の畝状竪堀


現地解説板の地図

廣瀬城は、標高618mであるが、比高では100m程度の小高い山に築かれている。
尾根に沿って削平地が階段状に配置され、三か所のピークにそれぞれ曲輪が設けられている。
畝状竪堀が多用され、しかも明瞭に残っているので、見応えがある。


中央の曲輪の切j岸 中央の曲輪と西の曲輪の間の堀切


 <アクセス>
廣瀬城跡は、JR飛騨古川駅の南約1kmの地点にある。国道41号線の「名張」交差点を南側へ折れ、200m程直進すると、三差路に突き当る。この三叉路を左折したすぐ右手に廣瀬城の案内解説板が立っている。案内解説板の横の道を集落へと入り、300m程進むと左側に「文化財保護センター」がある。この文化財保護センターの空き地に駐車できる。
文化財保護センターの横の道が城跡に通じている。途中にゲートが二つあるが、右側のゲートを開いて山道に入って行くと、それが大手道。(2013.05.12)

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