平林城

所 在 地  新潟県村上市平林要害山 別 名  加護山城
遺 構  曲輪 土塁 空堀 虎口 形 式  山城
築 城 者  色部氏 築 城 年  不明
歴 史 平林城の築城時期は不明であるが、15世紀末には、揚北衆(阿賀野川の北)の色部氏の本拠となっていた。
永正5年(1508)に勃発した長尾為景の永正の乱には、色部昌長は為景と戦ったが破れて、平林城も落城した。
色部勝長の代になると、長尾氏(上杉氏)臣従し、慶長3年(1598)に上杉景勝が会津に移封されると、色部氏も従い出羽の金山城に移り、平林城は廃城となった。
歴 代 城 主  色部氏


殿屋敷(本丸)の虎口・土塁・空堀


 現地解説板の地図

平林城は、山麓の居館と要害山山頂部の加護山要害からなる。
図は居館であり、加護山要害は居館から東南約1.2kmで、標高約280m。


殿屋敷の東側の土塁 中曲輪(二の丸)の鈎型土塁


 <アクセス>
平林城跡は、JR羽越本線「宿田」駅の南東約1.3km。国道7号線の「宿田」信号の一筋南の三差路を斜めに東へと入り、0.6km先の平林郵便局の南の三差路を東に折れる。450m先の千眼寺の前を南に曲り、二筋目を東に折れると、突き当りが平林城の居館への入口。少し入ると駐車場があるが、発掘調査している場合には進入不可であるので、そのときは道端に駐車する。(2017.09.05)