花園城

所 在 地  埼玉県大里郡寄居大字末野城山 別 名  
遺 構  曲輪 堀切 石積 形 式  山城
築 城 者  不明 築 城 年  不明
歴 史 花園城の築城は鎌倉期に遡り、武蔵七党猪俣党の藤田氏の初代政行により築城されたといわれるが、不明。藤田氏は関東管領山内上杉氏の重臣で、15代泰邦まで花園城に在城した。
天文15年(1546)、河越夜戦で上杉氏が北条氏に大敗すると、藤田泰邦は北条氏に帰属した。
永禄元年(1558)、北条氏康の四男の氏邦が藤田氏の娘婿として家督を継ぎ、花園城は北条氏に引き渡された。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めで廃城となるまで、花園城は鉢形城の支城として機能していた。
歴 代 城 主  藤田氏 北条氏


石積み

花園城は、上武山地が関東平野に半島状に張り出す尾根筋にある。標高202mの山頂部の本丸から東へ二の曲輪、三の曲輪、東曲輪が連郭式に配置されている。
山道は踏み跡がはっきりしないので、特に下山時に道を見失わないように注意が必要。


本曲輪 本曲輪と二の曲輪の間の堀切


 <アクセス>
花園城跡は、JR八高線「寄居」駅の北西約2kmの地点の山頂部。国道140号線の「末野陸橋」交差点から西に200mの信号のある三叉路を北へと入る。踏切を越えて直ぐを左折し、200mほど先の道が狭くなる地点の右奥に諏訪神社がある。諏訪神社の社殿に向かって右から裏側へと回り込む道があり、ここから山へ入る。山頂部の本曲輪まで約15分。駐車場はないので、付近の道端に邪魔にならないように停める。(2014.10.25)