松倉城

所 在 地  富山県魚津市鹿熊 別 名  鹿熊城 金山城
遺 構  曲輪 土塁 堀切 石積 形 式  山城(標高413m)
築 城 者  井上俊清 築 城 年  室町南北朝期
歴 史 南北朝期の延元2年(1337)、井上(普門)俊清が越中守護に任命され、松倉城はこの頃に築城された。
正平5年(1350)、観応の擾乱に乗じて、越中の有力国人である椎名氏が松倉城を略取し、以後、松倉城は椎名氏の居城となった。
永禄12年(1569)、上杉謙信により松倉城は攻め落とされ、椎名氏は松倉を追われた。松倉城には上杉の重臣・河田長親が城番として入った。
天正10年(1582)に織田氏による越中侵攻が始まり、天正11年(1582)に至り、佐々成政は松倉城を攻略し、越中を征服した。佐々成政は富山城に入り、松倉城には城番を置いた。
天正13年(1585)、佐々成政は肥後に移封され、越中は前田氏の所領となった。松倉城は城番を置いて維持されたが、慶長年間(1596-1615)に廃された。
歴 代 城 主  井上氏 椎名氏 上杉氏 佐々氏 前田氏


本丸 二の丸


現地解説板の地形図の主要部抜粋

松倉城は越中三大山城の一つであり、城全体の面積は15万m2
魚津市の南部、鹿熊地区の丘陵上に位置し、尾根を堀切で仕切った連郭式山城。
松倉城を中心とする半径2〜3km圏内に多くの支城や砦を配する。


二の丸と三の丸の間の堀切 三の丸


 <アクセス>
北陸自動車道・魚津ICの南6kmに位置する。魚津ICから国道8号線に入って南下し、「慶野」交差点を東へ曲がり、次の三叉路を南へ折れる。7km先の角川ダムに至ると、左側に折り返す坂道がある。ここが城跡へと入る林道の入り口であり、松倉城の案内標識がある。途中2回ほど道を曲がるがいずれも案内標識があり、この林道を3.3km進むと、終点が駐車できる広場。城跡は駐車場からすぐ。(2014.09.07)