烏帽子形城

所 在 地  大阪府河内長野市喜多町 別 名  
遺 構  曲輪 土塁 空堀 堀切 切岸 形 式  山城(比高80m)
築 城 者  楠木正成 築 城 年  南北朝期
歴 史 烏帽子形城は楠木正成が築城した楠木七城のひとつとされる。
記録のうえでは、河内国守護職畠山義就・政長の家督争いが要因となった応仁・文明の乱の中で登場し、畠山氏の攻防の舞台となった。
永禄5年(1562)、畠山高政は三好長慶に攻められて落城し、烏帽子形城は三好方が押えた。
永禄11年(1568)に織田信長が上洛し、三好三人衆を阿波に追いやると、信長に服従した畠山秋高が城主として復帰した。
羽柴秀吉が政権を引き継いだ後、烏帽子形城は、岸和田城主の中村一氏の支城となり、天正12年(1584)の紀州攻めの拠点として改修された。
紀州平定の後、烏帽子形城は廃城となった。
歴 代 城 主  楠木氏 畠山氏 三好氏 畠山氏 中村氏 


曲輪IIの内側の空堀と土塁 曲輪IIの外側の空堀と土塁


現地解説板の復元予想図

主郭は深い堀と土塁に囲まれており、堀と土塁は部分的に二重になっている。

城跡は、烏帽子形公園として整備されている。


曲輪I 曲輪II


<アクセス> 城跡の烏帽子形公園は、近鉄長野線の河内長野駅の南西約1km。外環状線(国道170号線)の原町北交差点を国道310号線へと南に折れ、本町交差点をさらに南へ進み、1km先の上田町北交差点を西に折れる。0.5km先に公園(プールは閉鎖)への入り口があり、駐車場もある。(2015.09.13)

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