備中高松城

所 在 地  岡山県岡山市北区高松 別 名  
遺 構  曲輪 形 式  平城
築 城 者  石川久孝 築 城 年  永禄年間(1558-70)
歴 史 高松城の起こりははっきりしないが、松山城主の三村元親の命により石川久孝が永禄年間に築いたとされる。
天正3年(1575)の備中兵乱により石川氏が三村氏と共に毛利氏によって滅ぼされた後は、清水宗治が城主となった。
天正10年(1582)、織田勢の羽柴秀吉の中国攻めにあたって主戦場となった。高松城は周囲が沼地に囲まれており、力攻めすることは難しいので、秀吉は水攻めにより開城させた。
この後、高松城は宇喜多秀家に与えられ、家臣の花房正成が入城した。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの後、宇喜多氏の旧臣の花房職秀が城主となったが、職秀の死後、一国一城令により廃城になったとされる。
歴 代 城 主 石川氏 清水氏 花房氏


高松城址公園


高松城は、本丸、二の丸、三の丸が梯郭式に配置された平城であり、沼地を自然の堀として利用していた。
現在、遺構は殆ど残っていないが、高松城址公園として整備されている。


 <アクセス>
国道180号線のJR備中高松駅前の「備中高松」信号より一つ西の信号を北に折れ、0.5km進むと左側に、高松城址公園の駐車場がある。(2013.10.27)