青柳城

所 在 地  長野j県東筑摩郡筑北村青柳 別 名  
遺 構  曲輪 石垣 堀切 復元櫓門・冠木門 形 式  山城
築 城 者  青柳氏 築 城 年  戦国時代
歴 史 青柳城は、この地の豪族である麻積氏の一族の、青柳氏の居城。
青柳氏は信濃守護の小笠原氏に臣従していたが、小笠原氏が甲斐・武田氏に敗れた後、武田氏に従った。武田信玄は、川中島への拠点として青柳城を改修し、一時居城とした。
天正10年(1582)に武田氏が滅亡して小笠原氏が復帰すると、青柳氏は再び小笠原氏に臣従したが、天正15年(1587)に当主の青柳頼長が深志城(松本城)で謀殺され、青柳氏は滅亡した。青柳城には小笠原氏の家臣の松林氏が在番したが、慶長年間に廃城となった。
歴 代 城 主 青柳氏 武田氏 小笠原氏


一の郭の石垣(布目積)


現地案内板の地図

一の郭から五の郭が直線状に並び、各郭は堀切で分断されている。特に深い二重堀切が明瞭に残っている。
現在、青柳城址公園として整備され、模擬櫓門などが復元されている。


堀切 五の郭の土塁


復元された櫓門 三の郭と二の郭の間に復元された冠木門


 <アクセス>
青柳城跡である青柳城址公園は、JR坂北駅の東1.6kmの城山にある。国道403号線の「六工」交差点を東に入り、JR線の下を潜ってすぐを道なりに左折する。突き当りを駅と反対に右折して200m程先の三叉路を坂北体育館の手前横の道へと左折する。この三叉路に青柳城址の標識がある。道なりに1km行くと硯水寺の前を通過するが、そのまま道なりに進む。途中、直進する細い道に「四阿星山」の案内標識がある十字路に差し掛かるが、ここを左折する。あとは青柳城址の案内があるのでそれに従うと、トイレのある広い駐車場に着く。駐車場の前の復元櫓門から城跡へと入っていける。(2013.05.26)

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