多良城

所 在 地  岐阜県大垣市上石津町宮 別 名  多羅城 高木陣屋
遺 構  石垣 長屋門 土塁 井戸 形 式  陣屋
築 城 者  高木貞利 築 城 年  慶長6年(1601)
歴 史 高木貞利は、斉藤道三、織田信長、織田信雄に従って美濃・石津郡を領していたが、織田信雄が豊臣秀吉により改易されると、甲斐に蟄居させられた。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの軍功により、高木貞利は石津郡に戻った。この際に高木家は西高木家(貞利:2300石)、東高木家(貞友:1000石)、北高木家(貞利:1000石)の3家に別れ、それぞれ交代寄合となった。
西高木家の高木高貞利は慶長6年(1601)に多良郷に入部し、陣屋(多良城)を築いた。
西高木家の陣屋の建物は天保3年(1832)に焼失したが、表門は嘉永5年(1852)に再建され、現存している。
歴 代 城 主 高木氏


陣屋の表門


城跡は、牧田川とその支流によって東・北・西を囲まれた段丘の上に築かれている。
江戸時代末期に建築された門が移築されて現存している。また石垣は一見の価値がある。


陣屋の石垣 埋み門の跡


<アクセス>
陣屋跡の一画に上石津郷土資料館が建っているので、この資料館を目指せばよい。国道365号線の大垣市上石津町の上原交差点を西へ折れる。この交差点に資料館の案内標識がある。200mほど先の橋を渡って直ぐの三叉路を右へ進み、さらに次の三叉路を左折して道なりに進むと、上石津郷土資料館に着く。この資料館の前の広い駐車場(広場?)を利用して車を置く。(2012.05.20)

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