残 花
 「残花」という言葉があるらしい。

辞典を引くと「咲き残った花」とあった。桜の花は短く咲いて散る。そのいさぎよさが美しいとされているが、葉桜になっても、まだ咲き続ける、そんな花のことをいうらしい。桜に例えるなら、私は今、どこにいるだろうか。満開はとうに過ぎてしまった。散り初め、いやもう大半は散っているころかもしれない。
 若いころは、人生の長さなど考えたことがなかった。ましてや、自分の生がプッツリとぎれるなんて、あまりにも現実とはかけ離れた事柄だった。自分の人生にも終わりがあると気づいたのは40歳のころだったと思う。ちょうどそのころ、母が亡くなり、高校のクラス会が二十数年ぶりに開催された。そのことも、ボチボチおりかえしかなぁ、と感じるきっかけだったのかも知れない。
 結婚して子供を産んで、仕事をして、けんかして泣いて笑って・・・。ふりかえると、ただただがむしゃらに歩いてきた十数年。気がつけば、もう40歳だった。久しぶりに本でも読もう、と思い立ったが、読むべき本が皆目わからない。まわりを見渡しても、世の中の出来事が私とは別世界で流れているようだ。まるで、空白地帯にとりのこされたような空虚感をもったのを、今も思いおこすことができる。
 そんな日々から、もうずいぶんと時が流れてしまっている。
私は、相変わらず以前にもまして暮らしに追われている。だが、好奇心だけは忘れずにいたい。ママさんバレーにも参加したし、絵手紙もやってみた。短歌にも心惹かれている。が、いかんせん、私の思いとはうらはらに、何もかもが中途半端になってしまうのが現実である。

仕事や家事に費やす時間をおしのけてまでは、どうしても続けることが出来なかった。日々の雑事を言い訳にして、挫折したという方が正しいような感じである。今は仕事や家事に没頭するのが大事だと思う反面、どこかモヤモヤした煙のようなものが、心の中にわきあがってくる。それなら、そのモヤモヤを整理すればいいのではないか。そうすれば、新しい明日が見えてくるかもしれない

通信教育のエッセー教室の存在を知ったのはこんな時である。心の中のつぶやきや感動を、ひとつひとつ言葉として書き綴ることなら、私にも出来るかもしれない。

そうすることが、自分自身を見つめ直すことにつながるに違いない、と思えてきた。
 人生の中でどれだけ多彩な花を咲かせるかは、人それぞれの考え方にもよるであろうが。
一度きりの人生ならば、私の周りに花をいっぱい咲かせたい。

私という存在の幹に栄養を充分に与えて、人生の残花をしぶとく咲かせていきたい。
2003,春待つころ 記
いととんぼ文庫のトップへ