トウガラシの仲間だというその鉢植えは、初めに直径一センチにも満たない五弁の花を咲かせ、トンガリボウシのような紫の実をつけていった。 その実がいつの間にか、黄色から赤色へと次から次へと変色していく様は、まるで、小人の国のカーニバルのようにカラフルである。 ピカピカと光っているようで何とも美しい赤色だが、その美しさに惑わされた苦いというか辛い体験が、今でもはっきりと、よみがえってくる。 |
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あれは何歳のころだったろうか。 私の最古の記憶のような気がするので、多分、幼稚園にも通っていないころだろう。 日本の原風景のような田舎の実家には、いつも庭先に何らかの野菜が置かれてあった。 その日も、軒下に緑色の束がぶら下がっていた。その束の中の、ひときわ輝いている(私には、そんなふうに見えた)赤い実に、目を奪われてしまった。 食い入るように見つめている私に、 「それ、食うたらうまいぞ」 下の兄は、そう言うなりどこかへ走り去った。 あんなにきれいな赤色なのだから、美味しくないわけがない。残された私は、おもむろにその赤く素敵な実をガブッと口にいれた。 「ウワァ〜!!」 そこいらじゅうにけたたましい泣き声が響きわたったのはいうまでもない。兄は、まさか、本当に食べるとは思ってもみなかったようだ。 あまりの叫び声に、驚いてかけつけた他の家族たちも、事情を知って兄を叱るどころか大笑いだった。 |
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この事件にかぎらず、極端に年が離れている末っ子の私は、よく兄や姉たちのいたずらの対象になっていた。 鼻の低い妹の将来を案じて、私の鼻にセンタクバサミをはさんでおまじないをしてくれたのは、たしか、姉だったように思う。 団体行動のときは、いつのまにか、おいてけぼりの私だったが、お正月の百人一首のカルタとりだけは違っていた。あのころ、いとこたち総勢二十人くらいが集まると、きまって、母が詠み手となって、紅白試合がはじまった。その時ばかりは、私も一人前の顔をして一番前に陣取ったものだ。もちろん、歌など覚えているわけはないが、目の前の一枚だけは、どうにか取れるように、みんなが手加減してくれていたように思える。 |
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そんな兄や姉も、もう、孫をみる世代となってしまった。 父と母も、もう亡くなってひさしい。みんなが一堂に会する機会も、めっぽう少なくなってしまったが、末っ子の私は、この年になってもみんなの小さな妹であるらしく、今も相変わらず、わがままを通させてもらっている。 感謝。 感謝。 |